KameManNen|カメマンネン

見るという営み

A BEAUTIFUL TOOL

VOL.3

木石(ぼくせき)さん

彫刻家

いつも散歩しながら和紙のスケッチブックと矢立(筆と墨液を一緒に携帯できる文具)を持ち歩いてるんですけど、雲の形を見て龍を感じるというか、龍に見えたらその場でスケッチするんです。その雲の風景画みたいなスケッチから始まって、ストックがたまったらその中から形になりそうなものを選んで、もっと具体的な龍の形にした絵に置き換えて、最後に立体にするという流れで作品を作ってます。まだやり方は探り探りですけど、イメージ的には幽霊みたいなものから肉体を持ったものになっていく感じですかね。墨で描いたスケッチでひとつのイメージとしては完成ではあるんですけど、そこから立体にしていくのが油絵も彫刻もやってた自分のひとつ独特な部分かなと思ってて。2次元的な感覚も持ってると思うのでそれをこれからどう発展させていこうかと模索しているところです。

美大を卒業した後は文化財修理の仕事を5年くらいやってたんですけど、文化財の修理って大体やり方が決まってて、それに則ってやっていく感じなんですよ。大体の修理が簡単に言うと、ヒビが入った物の塗膜という漆の部分だけが浮いた状態になってるのを、ゆっくり戻して漆で貼りつけてその隙間を埋めるという作業なんですけど、元に戻すんじゃなくて現状維持修理と言って、傷が入っていることが分かるように、ただ目立たないように直す方法なんです。たとえば刃物を研ぐときにザラザラした鉄からどんどん目を細くしていくことで切れ味が変わっていくのと同じで、漆の仕事も粗い木の素材に細かい質感のものを重ねていって最後に漆を塗ってツヤを出すという工程なので、だんだん上澄みを作っていく感じなんです。今の自分の作品もそれに近い発想で、段階を経ることで何かしらのアクションがあるなっていう感覚はそこで気づいた気がします。

人生の中で「見る」ということを特に意識したのも電車通勤をしてた頃です。何かしなきゃいけないと思って、とにかく見た物の形をしっかり描けるようになろうと、毎日電車の中で自分の手を鉛筆でスケッチブックに1駅に1枚描くみたいなことを3年くらい続けてたんですよ。その時に徐々に「見る」ということについて考えるようになりました。最初は自分が描いてるものをいいと思うじゃないですか。だけど後から見たら「うわ、下手だな」とか思うのって何なんだろうと思って。結局、「見る」ということが「描く」ということよりも先にあって、物を作る人間からしたら最初の土台なんだなって思ったんです。見ることで自分が好きなものを取捨選択して形にしてるわけで、手のスケッチも輪郭だけ描いて指紋まではその時描いてないわけですよね。じゃあ何で描かないのかっていうと、やっぱりそこで選択が自動的だったり意図的に行われてたりするわけで、つまり「見る」こと自体が作ることの始まりなんだと。その前に何かインスピレーションや第六感みたいなものが働くことはあるのかもしれないですけど、その次には必ず「見る」があって、それもやっぱり直感で選択しているし、結局作った物も見ることになるわけじゃないですか。だから「食べる」とかに近い感覚かなと思います。

No.54(AG)

作品で伝えたいこととしては結構壮大なんですけど、「循環」が自分の中でひとつのテーマとしてあって、僕たちの肉体も循環の一部ですし、そういうことが自分の作品を通して表現できたらいいなという思いは昔からありました。常に循環し続ける水のようなイメージというか、それとも龍というテーマが自分の中でピタッと合ったんです。龍は水の象徴ですし、龍というモチーフ自体も6000年以上前から人間が変形させ続けてきたものですし、世の中のものは全て関係し合ってて、人もそうで……何かそういうことを作品の中で見せられたらいいなと。それを生涯の中でどう形にできるかを今はずっと考えてます。現象としてコンセプチュアルに見せるんじゃなくて、1つの固体として見せたい。それと、作品だけじゃなくて、活動的にもたとえば作品を買うことで漆の道具を作ってる人にも何パーセントかお金が還元できるとか、アーティストがもっと道具を作る人たちと一緒に循環するようなことがいつかできたらいいなというのはまた創作とは別の目標でありますね。